隠されている宝

説教題:「隠されている宝」
聖書:マタイによる福音書 第13章:44-52節
説教:齋藤 喜樹 師
賛美:新聖歌 第37番「主よ命の言葉を」 第263番「罪咎を赦され神の子とせられ」

天国は、畑に隠された宝のようであり、真珠を求めている商人のようだとイエスは言
われました。ある人が畑を開墾している時に宝が埋められていることを発見し、大喜
びで自分の財産を売り払ってその土地を買いました。また高価な真珠を探し求めてい
た商人は、それを見つけると、やはり自分のものをすべて売り払って、真珠を買いま
した。
 二つの話の重要なテーマは「喜び」です。見出した人は大きな喜びで満たされまし
た。天国は喜びなのです。かつて、奴隷船の船長であったイギリス人ジョン・ニュー
トンはその喜びを見出し、その喜びを讃美歌にして世に出しました。今、全世界の
人々に愛されている「アメージンググレース」です。私たちの人生は荒波かもしれま
せんし、荒野の砂漠のようであるかもしれません。けれども、人生の内に喜びの宝は
隠されているのです。
 さて二つの話には違いもあります。一方はただ偶然に宝に巡り合えました。信仰に
はそのような側面があります。突然に人生に神の恵みが飛び込んできたのです。農夫
はその見つけたものを大切に扱い、自分のものといたしました。 真珠の方はたまた
ま真珠を見つけたのではありません。商人はずっと良い真珠を探し求めていたので
す。イエスは、探せ、そうすれば見つかる!求めよ!そうすれば与えられると仰いま
した。求める私たちに神は答えられるのです。
 実はこの譬え話には、二重のメッセージが込められています。この譬えのポピュ
ラーな解釈は、農夫や商人は人間であり、隠された宝と高価な真珠は、神の恵みであ
り、神による救いであるという事です。しかし一部の学者や説教者は、農夫や商人が
神であり、宝や真珠は私たちのことだと理解します。神が私たちを見つけ出してくだ
さるのです。そして見つけたならば、天国に大きな喜びがあるのです。確かに聖書に
は神が探し求め、私たちを見出すというメッセージが記されています。一匹の迷子の
羊を羊飼いはどこまでも探し求め、見つけたら喜んで羊を担いで家に帰ります。羊飼
いは、イエス・キリストなのです。
 二つの話には共通している点があります。それは、見つけた二人の人は両方とも持
ち物をみな売り払ってそれを手に入れたという事です。価値あるものだからこそ、喜
んで自分の持ち物を手放したのです。クリスチャンの信仰とは私たちの内にあるもの
を手放すという経験が含まれていると思います。ある方は、キリスト教は良いもので
あると感じつつもどうしても信仰をもって洗礼に至ることが出来ません。クリスチャ
ンになるという事は、自分が別の人間になってしまうようで、躊躇を感じるのです。
確かにクリスチャンになるという事は、新しい自分に生まれ変わることです。しか
し、それは神に創造された本来の自分に戻るという事です。真珠は真珠でした。けれ
ど神に見出された価値あるものとして人生を歩むのです。
ジョン・ニュートンの人生は、荒んだもの、不安定なものでした。海軍に入ったり、
船員や貿易の仕事をして、貿易船の船長になりました。アフリカから奴隷を運ぶ仕事
もしました。けれども、嵐で死の危険を味わい、神を求めるようになり、ついに神の
恵みを見出しましたが、彼は後から振り返って、神さまの方で自分を捕らえて下さっ
たのだと思うようになりました。彼は後に牧師になり、多くの人々に影響を与え、ま
た幾つもの賛美歌を作りました。その中でもアメージンググレースは特に有名で、多
くの人々に歌い継がれ、イギリスからアメリカ南部に、そして全米に広がりました。
特に当時奴隷にされていた黒人に愛され、歌われました。かつて、奴隷を運ぶ船の船
長だった白人男性が作った曲が、アメリカの黒人奴隷に愛され、彼らに励まし慰めを
与えたのです。それこそ、アメージンググレース。神の恵みであり、畑に隠され宝な
のです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次