説教題:「神の国に生きる」
聖書:マタイによる福音書 第6 章33節
説教:斎藤喜樹 師
賛美:新聖歌98 「緑も深き」1,2,3 新聖歌321「浮世の風と」1,2,3,4
主イエスのメッセージは私達が思い煩わないで、神の国と神の義とを求めて生きることです。神の国を求めるとは、具体的には神の国をこの地上に建設するために努めることだと考えることが出来るかもしれません。教会が形成されて、それが神の国となってこの世界で拡大されていくことだと考えることもできます。それらは正しいことです。この世界を少しでも良い世界に変えるために戦争がなくなるように努力すること、将来の食料不足に備えるよう世界に働きかけること、或いは、社会の苦しんでいる人、人生の生きづらさの中で自分の命を断とうとしている人々に手を差し伸べることかもしれません。神さまは私達クリスチャンにそのように努めることを願っておられる事でしょう。
また、主イエスは神の義を求めなさいとも言われました。イエスはあなたの人生で神の正しさを求めなさいとおっしゃるのです。この世に正しさを求め、この世の不正を正すのは重要です。しばしばクリスチャンのリーダーがこの世の不正と戦ってきました。この世界で神の正義が行われるように祈りましょう。でもさらに肝心な事は私自身が神の正しさに生きることです。私自身このようなことを説教しますが、本当に神の国と神の義を求めて生きてきただろうかと改めて問うと、正直に言いまして、失敗したことの方が多いかもしれません。けれども、たとい失敗があっても、深刻な過ちがあっても、神の前に悔い改めることに遅すぎることはありません。失敗を神の前に正直に告白し、人の前で認める時に、神はそのような私達を守り、祝福して下さいます。また、その中で私達の必要を満たしてくださいます。
神の国と神の義を求めるという事は、まず私が私の生きている生活の中で、私自身が神の国と義を経験することです。思い煩う代わりに神の恵みに生きることです。悪の支配、情欲や感情の支配ではなく、神の恵みの支配に生きることです。正しい事をするにも、良い働きをするにも、実際に私達の内に神の国が始められていなければ、私達の働きは長続きしませんし、崩壊するでしょう。しばしば、世界のリーダーシップをとる人たちが、不幸なプライベートな生活をしています。仕事に専念するあまり、家庭が崩壊状態ということもあるかもしれません。政治家や財界の人だけではありません。宗教家、牧師でさえ不幸な生活を送っている事もあります。クリスチャンであっても誘惑に負け続けてしまう事もあるかもしれません、神の恵みを享受しないで生きている事もあります。神の恵みに支配されるというよりも、自分の罪、利己心、または傷に支配されているのです。人の事は言いません。私の事です。罪や弱さを持つ私達だからこそ、真剣に神の国を求める必要があるのです。そうするならば、私が必要としている様々なものは与えられるとイエスは約束なさるのです。
神の国を求める生き方についていくつかアドバイスをいたしましょう、第一に神の力に頼ることです。自分ではできません。神の力が私を成長させ、私を変えてくださることを信じるのです。二つ目に聖書の言葉によって神さまのことを学んでいくのです。自分の今までの古い考え方が変えられ、聖書の生き方を学ぶのです。そのために聖書の正しいメッセージを聴き続けることが大切です。三つ目の段階は、この新しい考えに生きる訓練を、今できることから始めていくのです。体も訓練によって強くされるように、私達の魂や心もそれによって強められます。例えば、一日に5分間だけでも、神さまとの時間をもつこと。いきなり、長い時間でなくてもかまいません。長続きする方法が良いと思います。それを習慣としてください。その中で神様は私達に不思議な経験をさせて下さいます。これらの事を通して、あなたという人間が変わっていき、神の国に生きるという神の祝福の中で生きることが出来るようになるのです。