説教題:「荒野の祝宴」
聖書:マタイによる福音書 第14章 15-23節
説教:齋藤 善樹 師
賛美:新聖歌 第18番「おお御神をほめまつれ」 1,2,3 第206番「飼い主わが主よ」1,2,3,4
たった5つのパンと2匹の魚で5,000人以上の人を満腹させたというのは信じがたい事です。一体、この不思議な物語から私たちは何を学ぶのでしょう? 洗礼者ヨハネが殺された後、主イエスはガリラヤの領土を離れて、湖を渡り、人里離れたところに行かれました。それを聞きつけた人々は、あちこちの村や町から、イエスを捜してやってきました。その数は大群衆にまで膨れ上がりました。主イエスは病人を癒し、語り続けられましたが、夕方になって、弟子たちはイエスに群衆を解散させ、近くの村に行って、食料を買い求めることを提案しました。ところがイエスはあなた方の手で食べさせてあげなさいと命じられるのです。弟子たちは5つのパンと2匹の魚だけを見つけることができました。イエスは天を仰いでパンと魚を祝福し、それらを弟子たちに渡しました。彼らはそれを群衆に配りました。5,000人が食べて満腹し、余ったパン屑を集めると12の籠に一杯になったと言うのです。
この話を合理的にいろいろ解釈する人たちもいますが、この出来事は私達に伝えるメッセージを含んでいます。まず、神は私たちを憐れんでいてくださること、「あなた方の手で食べさせてあげなさい」と命じられていること、そして神は人が献げるものを祝福されるという三つのメッセージです。現在、世界中のあちこちでは深刻な食料危機に陥っています。ガザの地の食糧不足は深刻です。他の地域にもその日食べることのできない人たちも大勢いることです。世界のこのような情勢の中で、この聖書の物語はただの夢物語なのでしょうか?大事なことは父なる神は、飢えている人間のことを憐れんでおられること、その方は私達に「あなた方の手で食べさせてあげなさい」と言われること、そして神は私たちが献げるわずかなものを祝福してお用いになることです。食べ物は体の食糧の事には止まりません。心の糧の意味もあります。この出来事は共に食べる交わりも含まれています。聖書にはイエスが色々な人と一緒に食事をした場面が多く描かれています。
今日の題は、「荒野の祝宴」としました。場所は寂しく荒れ果てた野です。この世界のようです。冷酷で残酷な世界かも知れません。しかし、そのただ中で人々は食べ物を分かち合い、喜び、神は人が献げるわずかなものさえ豊かに祝福されるのです。詩篇23編の言葉に「私を苦しめる者の前であなたは私に食卓を整えられる」という言葉があります。人生の荒野で、自分の苦しめる状況のただ中でこそ、神は私達に食卓を備え、また互いに分かち合う交わりを祝福して下さるのです。
◆送迎バスの東村山駅の出発時間は10時10分です。